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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)1844号 判決

控訴人 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 吉野正紘

同 村上直

被控訴人 丙川月子

右訴訟代理人弁護士 重松蕃

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し一〇〇万円及びこれに対する昭和四九年三月五日から完済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その二を控訴人の負担としその余を被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠関係は、当審において、控訴代理人が乙第六号証、第七号証の一ないし四、第八号証の一、二、第九号証、第一〇号証の一、二、第一一ないし第一五号証を提出し、証人乙山冬子、同丙川太郎の各証言及び控訴人本人尋問の結果を各援用し、被控訴代理人が乙第八号証の一、二、第九号証、第一〇号証の一、二、第一二号証の成立は認めるが、その余の右乙号各証の成立は不知と陳述した外は、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

一、被控訴人と丙川太郎が昭和一三年に婚姻し、その間に長男一郎(昭和一四年一二月一七日生)、長女春子(同一七年一〇月五日生)、二女夏子(同二〇年三月一一日生)及び二男二郎(同二二年三月二九日生)をもうけたこと、昭和四六年七月頃から控訴人は太郎と同棲していることは、当事者間に争いがない。

二、右争いのない事実に、《証拠省略》をあわせ考えると、被控訴人と太郎は婚姻後東京で所帯を持ち、その後太郎の商社勤務の仕事の関係で岐阜、木更津そして東京と居を転じ、太郎は昭和二七年独立して精密機械器具の製造等を目的とする事業を始めるようになったこと、太郎は神経質で細かく気をつかう性格であり、一方被控訴人は楽天家で気がきかず、金銭的にも多少おおようなところがあったから、ふだんはおおむね円満であったけれども、何か事が起きると双方の考え方にそごがあったこと、そして太郎は後記のように控訴人を知るに及んで次第に同人にひかれて行ったこと、控訴人は昭和三六年から銀座でバー「○○」を経営していたが、同三七年頃顧客として右「○○」を訪れる太郎と知り合い、同三八年頃には太郎が木更津で経営する会社のため必要な敷地をあっせんし、また右会社に投資しその役員となり、同三八年九月、右バーの経営をやめたこと、太郎は控訴人とやがて肉体関係を持つようになった(控訴人はその頃から太郎に妻があることを知っていた)が、被控訴人は人づてにこのことを知って太郎に確めたところ、同人はこれを否定してとりあわなかったのでそのときはそれ以上深く追求しなかったこと、しかしその後も太郎が衣服に紅を付けて帰宅することがあったため、被控訴人が同三九年五月頃太郎に改めて問いただしたところ、同人は控訴人との関係を認め、被控訴人と子供の前でその非を詫び以後控訴人との関係を絶つ旨誓ったこと、ところが太郎はその後も控訴人との関係を継続していたため、被控訴人は人を介し控訴人に太郎との関係を絶つよう依頼したこともあったが、太郎と控訴人との関係はなおも継続されたこと、一方被控訴人と太郎との肉体関係は昭和四〇年秋頃から絶えてなかったこと、太郎は昭和四三年長女を控訴人と引きあわせる等してその家族に控訴人との関係を認めるように仕向ける態度をとったこと、太郎はその頃から仕事の関係もあるとして週三日は外泊すると公言し実行したこと(もっともその間どの程度控訴人のところに外泊したかは明らかでない)、被控訴人は昭和四三年頃太郎と寝室を別にし、その頃から太郎とほとんど口をきくこともなく、必要な場合には子供を通じて用件を伝えるという状態であったこと、太郎はその後も人を介して被控訴人及び子供達に控訴人との関係を認めるように仕向け被控訴人及び子供達の反発をかったこと、昭和四六年三月頃太郎は長男、二男及び二女を順次その勤務先に呼んで、自分は家を出ていくから子供達が被控訴人の面倒をみるように言い渡したが、子供達は太郎の要求に応じなかったこと、被控訴人と太郎及び子供達は同年五月頃集り、長男が太郎に対し控訴人との関係を絶つよう要求し、若しそれができないのならば、被控訴人に経済的補償をするよう主張したところ、太郎は被控訴人との離婚と被控訴人及び子供達の居住する土地建物を将来長男に譲渡するから、長男が被控訴人の面倒をみるように要求し、被控訴人も太郎との離婚ということを口にする等のこともあったが、結局感情的な言いあいに終って結論は出なかったこと、そして結論がでないままじんぜん日をへるうち、太郎は重ねて被控訴人及び子供達から控訴人との関係を絶つよう、それができないならば、被控訴人に経済的補償をして家を出るよう等と言われて同年六月下旬頃家出し、ためらう控訴人を説得して昭和四六年七月頃、当時高円寺にあった控訴人の居宅に移り、爾来控訴人と同棲するに至ったこと、そして太郎は、右家出後、一方的に被控訴人との間に離婚の合意がすでに成立したとして、長男に対し、太郎の収入の三分の一相当額を与え、被控訴人らが居住する建物を適当な時期に長男に譲渡する旨の書面とともに、離婚届用紙に自ら署名捺印してこれらを長男に交付したこと、しかし右書面はいずれも弁護士に相談したところ、このような問題は裁判所で決めるべき事柄であると助言されたとして、被控訴人から太郎にそのまま返還されたこと、控訴人は太郎から控訴人が現在居住する土地の購入に関連し一七〇万円を支出してもらったが、昭和五〇年五月太郎の会社が倒産し同人の収入が減少してからは、太郎の再度にわたる入院の費用を支出する等して、その面倒をみていること、一方被控訴人は昭和五〇年太郎の経営する会社から、その居住する土地建物の明渡を求める訴を提起されて、同年九月頃裁判上の和解によりこれを明け渡し、長男が借りた現住所地の家屋に同人と同居しているが、太郎は前記家出後被控訴人に毎月四万円(後五万円)づつ送金していたところ、太郎の経営する会社が倒産した昭和五〇年四月以降送金していないことが認められ(る。)《証拠判断省略》

三、控訴人は、被控訴人の婚姻前の不行跡、婚姻後の岐阜における男子社員との不貞行為が被控訴人と太郎との夫婦関係が破綻した原因であって、被控訴人も離婚に同意していた旨主張する。

なるほど《証拠省略》中には、控訴人の主張する右不行跡や不貞行為に関する記載ないし供述があるが、これらはいずれも伝聞にかかるものであってたやすく措信できず、他に右事実を認めるに足りる証拠はなく、またこれらに関することが、被控訴人と太郎の不和や言い争いの原因となったり、そのため被控訴人が離婚に同意したことをうかがわせるに足りる証拠もない。その他被控訴人と太郎との間に離婚の合意が成立したことを認めるに足りる証拠はない。

四、前記認定の事実によると、控訴人は、太郎に妻があることを知りながら、太郎との肉体関係を遅くとも昭和三九年頃から継続したものであって、そのことが被控訴人と太郎との夫婦関係を破綻するに至らしめたことが明らかであり、そうすると、被控訴人は妻としての権利を控訴人によって不法に侵害されたものというべく、そのため被控訴人が被った精神的苦痛に対する慰藉料は、前認定の当事者双方の社会的地位、行為の態様、その他諸般の事情にかんがみ、一〇〇万円をもって相当とする。

五、以上の理由により、控訴人は被控訴人に対し、慰藉料一〇〇万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であることの記録上明らかな昭和四九年三月五日から完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

六、よって控訴人の本件控訴は一部理由があるから、原判決を右の限度で変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 園田治 裁判官 田畑常彦 丹野益男)

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